マネジメント・リーダーシップ

聖人君子でなくていい

「EQ研修で学んだことは正論だけど、すべてその通りにやるのは無理です。現場はそんなに簡単じゃないですから。綺麗ごとではすまないんですよ。」

こんなご意見をいただくことがよくあります。

仰る通り現場は大変です。私自身、日々葛藤の連続です。でも、それで良いと思っています。

 

EQとか禅とか論語とか、ためになる教えや考え方をたくさん学び自分の糧としても、その正論ばかりを優先して経営やマネジメントが成立するかと言えば、決してそんなことはありません。

古い事例になりますが、トヨタ自動車の創業者 豊田喜一郎氏は、従業員は家族同然だから絶対にリストラはしないと宣言してましたが、経営難に陥った時、会社を潰してしまっては元も子もないと、自身の進退と引き換えにリストラを断行しました。

「君子は義に喩り、小人は利に喩る」とは論語の有名な章句ですが、この時ばかりは義を優先していては経営が成り立たず、喜一郎氏は身を切る思いで自らの義に背きリストラを行ったのです。

もし、喜一郎氏が「従業員を家族同様に大切にする」という価値観(=義)を持っていなかったなら、リストラすることにそこまで悩まなかったでしょう。従業員を減らして経費削減することで利益を確保することに意識が向き、何人減らせばどれくらいの利益が確保できるのかと、別の次元で頭を悩ませたでしょう。

実際の喜一郎氏と後者では明らかに悩みの質が違います。

 

私たちマネージャーも同じだと思うのです。日々、決断に迫られることが沢山あります。現場でそれなりの地位と責任を担っていればいるほど、決断をしなければいけない場面はたくさんあるし、ある意味孤独です。判断に迷う場面はたくさんあります。

そんな時、自分が判断するためのルールを持っておけば良いのです。それがEQだったり禅だったり論語だったり、自分なりのモノがあれば良いと思います。

 

それらの教えは完全なる正論です。しかし、すべてその通りにやらなければいけない、やろうとしたら息苦しくなります。そうではなく、何かあった時の心のよりどころとして自分の中にしっかりと納めておこう。そんな風に考えると、EQや禅、論語への向かい方も変わってくるかもしれません。

聖人君子になる必要はありません。ただ、いざという時の懐刀としてその基準を持っていることで、道が自然と拓けてくることがあるのではないでしょうか。

 

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