禅語から学ぶリーダーのあり方

「歩々是道場」毎日が学びの山

歩々是道場(ほほこれどうじょう) どんな環境でもその気になれば学ぶことはできる という意味です。

 

いつも研修冒頭で、私から受講の皆さんにお伝えしているのが、「得たいモノに対してアンテナをしっかりと立てていると、どんな環境・状況からでも学ぶことはできる」ということです。

「ですから、『講師下手くそだな~』『何言ってるのかわかんないな~』と仮に思ったとしても、そこから何かを学んでくださいね。」笑ったりしています。

 

ところが、こんな風にお伝えしているにも関わらず、反省すべきことがありました。

少し前から「絵手紙」を習いたいと思っていました。お手紙魔の私は直筆のお手紙をお出しするために、季節の様々なハガキや便箋を数多く持っています。しかしそんな既成のモノよりも、絵手紙をいただいた時にはとても嬉しく私自身が感じていたこともあり、是非私も、と思っていたのです。でも道具が揃っていません。ネットで購入するのではなく、直に見て選びたいと思いながら、10日以上が過ぎてしまいまきした。

そんな時に目にした「歩々是道場」。

私は道具がないことを言い訳に、自ら率先して学ぼうとしていなかったことに気がつきました。

絵手紙の道具がなくても鉛筆一本あれば、赤や青のボールペンや家にある筆記用具を使えば、その練習はできるはずなのに。

 

何かに挑戦したいと思ったり、もっと自分を高めたいと思った時、教えてくれる人や場所がないことを言い訳にしたり、道具が揃わないと始まらないと、なかなかスタートを切れなかったり。そんな風に環境を整えることに拘ったり、なんだかんだと言い訳をしていては、ちっとも前へ進みません。

本当に手に入れたい、自分を高めたいのであれば、環境や他人のせいにせずに、今ある状態から何ができるかを考えて、できることから始めるべきなのです。

 

歩々是道場

そう考えれば、日々の生活そのものが、学びの宝庫なのだと思います。

 

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