マネジメント・リーダーシップ

結果が出れば人格はいらない?

政治家の好ましくないニュースが後を絶ちませんが、先日、ある有名なジャーナリストの方がテレビの報道番組において、「政治家に人格を求めることは必要なのか。大切なのはどんな仕事をし、結果を出すかということであり、プライベートにおける人間性まで追求するのはナンセンセスでは。」というコメントをされていました。

簡単に言うと、「結果を出していれば多少だらしない面や不道徳な面があっても関係ないでしょ。成果が出ているんだから。」ということです。

 

このコメントを聞いて、私はとても違和感を覚えました。

政治家と企業におけるトップ以下の管理職とを同じ次元で語るのはふさわしくありません。しかし、どちらも「リーダー」という観点で考えた時、成果が出ているリーダーだったら人から疑問を持たれるような行動をしていても、仕事においてはきっちり結果を出しているんだから文句言われる筋合いないでしょう、ということです。

企業の管理職の場合、どんなに仕事ができる人でもメンバーの信を得ることが出来なけければ人はついて来ず、その仕事の質と量にも自然と限界が生じます。逆に人望のあるリーダーの下にはメンバーに限ったことではなく、関係者もお客様も、その人の下に自ずと集まってきます。

政治家だって同じではないでしょうか。支援者があって活動できているのであり、仲間がいてより大きな仕事ができるのではないでしょうか。どんなに頭がキレて剛腕であろうとも、人望のない政治家は孤独であり、大きな仕事ができるとはとても思えないのです。

仮に短期的に何かを為せたとしても、人望のないリーダーは結局は裸の王様になってしまうのではないでしょうか。

 

それは綺麗ごとだよ。結果が全てだよ、世の中は。

そう仰る方もあるかと思います。

それでも、「リーダーたるもの人に恥じるような行動をしていては、決して仲間の信を得ることができず、結局は何も成すことはできない」と私は思います。そしてそれは過去の歴史の偉人たちが証明しているのではないでしょうか。

聖人君子にならなければいけないと言っているのではありません。

少なくとリーダーたるもの、人に恥じるような行動は慎むべく、その努力を怠ってはいけないのだと思います。

私たちが共に仕事をしていく仲間はロボットではなく温かな血の通った心がある「人」なのです。

科学技術の進展により、人としての大切な部分を見失ってしまうようなことにはなりたくないものです。

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