マネジメント・リーダーシップ誰だって変わることができる

理解していても応用は難しい

認知が進む父に気を揉む私は父が迷子にならないように、万が一迷子になったとして自宅へ戻ってこれるように何とか事前の策を講じたいと、出かける時には必ず携帯電話を持っていくように何度も言うのですが、言えば言うほど父は反発してしまいます。
「けどさ、心配だから。お願い。」
「心配してくれんでええ!」

月1度のケアマネさんとの60分間のミーティングで、その大方の時間を私は愚痴とも文句ともつかない一人語りをしてしまいました。
ただただ笑顔で頷きながら話を聞いてくれるケアマネさん。
それだけで救われる思いです。
分かってくれる人がいる。一人じゃない。
本当にありがたい限りです。

私の話を聞き終えて、ケアマネさんが「あのね・・・」と優しく私に話し始めました。

「『心配だから』というのは、つまり『万が一、迷子になったら』というのは、その発想の前提が『迷子になる』『〇〇できない』でしょ。それは、口で言わなくてもお父様には伝わっていて、きっと、それがお嫌なのよ。『お父様が〇〇できないかもしれないから△△してほしい』の理屈だと、おそらくお父様は受け入れがたいのよ。だから、お父様とは全く関係ない別のアプローチがいいんじゃないかしら。
以前ね、とってもお気に入りのバックをいつも肩から下げていて、けれど置忘れがしょっちゅうで、ご家族がいくらバックに名前札をつけようとしても拒否していたお年寄りがいたんだけどね、『置忘れたらいけないから』じゃなくって、『素敵なバックだから、誰かに取られたらいけないから名前つけとこうね』って言ったら喜んでつけさせてくれたのよ。」

ケアマネさんの話を聞いて、私は恥ずかしさでいっぱいになりました。
これって、メンバーに関わる時のマネージャーのスタンスとしていつもお客様にお伝えしていることと全く同じ理屈です。
場面が会社から介護現場へ。対象がマネージャーとメンバーから父と私に変わっただけなのに、その応用が全くできておらず、その上でケアマネさんに愚痴っていた私。
「知っているコト」「理解しているコト」が「できている」とは違うのだと、まざまざと実感したのでした。

メンバーに対しても「念のため・・・」とか「万が一・・・」という表現を使う時、「自分は信用されていないんだ」「不安を与えているんだ」とメンバーに思わせてしまい、ことが上手く運ばないことが度々ありました。
信じて任せることも大切ですし、その都度、どういう伝え方、関わり方が適切なのかを考え、伝えてきており、ほぼそこについては「できている」と思っていたのですが・・・。
応用ができないのですから「できていない」のと同じです。

ケアマネさんの話を聞きながら、深く反省した私。
迷子になる前提ではなく、父のプライドを傷つけることない対策とは何があるか。
ふとひらめいたのが、「父の名刺を作る」でした。
この案にケアマネさんも大きく賛成して下さり、少しホッとした私。

マネジメントと介護は共通していると以前も述べましたが、それに限らず結局のところは「人と人」との問題である限り、全ては同じなのですね。
少しばかりマネジメント馬鹿になっていたかもしれないと反省すると同時に、知っていて理解も深いはずなのにまだまだできていない自分に対して、「もっと精進しなさいよ」と優しく鞭を入れたのでした。

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