誰だって変わることができる

「伝える」って難しい

プライベートFacebookに久しぶりに投稿したところ、前職の先輩から愛ある突っ込みを頂きました。

(元文章)
普段、自分から進んで洋菓子を、しかもケーキを口にすることは殆んどない私ですが(あんこ党なので)、無性にココのモンブランが食べたくなり、ランチ代わりのケーキセットを頂きました。
たまにはいいよ、と自分を甘やかすも、これから一駅余分に歩こうと、やはり罪悪感にお尻ペンペンされているのでした。

(先輩の突っ込み)
文章を読むと、あんこ党ではなく……別の理由のようですね(笑)

最初、先輩のメッセージだけを読んだ時は、正直「???」でした。
しかし、もう一度自分の文章をよく読み返してみると、「あんこ党だからケーキを食べないのではなく、ダイエットを気にして食べない」とこの文章では取れてしまいます。

私の文章力が無いのか、もしかしたら私の潜在意識にそのような思いが実はあるのか、真実はさておき、書き込みをしたこの時に私が単純に言いたかったことと、実際に記された文章とは、少し違うものになってしまったようです。

このように文章として文字に残っている場合には、「あ、私の書き方がまずかったなかな」「少し言葉足らずだったかも」「これじゃあ伝わらないね」と振り返ることができます。
ところが日常会話においては、言葉は口から出たその瞬間に消えてしまうのですから、相手の耳にどう聞こえ、脳にどう伝わったのかによって、正しく伝わりもすれば本意でないことになる場合もあります。

「そんなつもりじゃないんだけど・・・」
「そう理解する???」
「気持ち酌んでほしいんだけどな」
「なんでわからないの!」

ワガママなものでこんな風に自分勝手に思うわけですが、「伝える」ということは本当に難しく、人は自分中心で物事を考えるわけで、相手がどういう風に理解するかまで気を配らないで勝手にしゃべっているわけですから、誤解を生んだり、相互理解したつもりで実はボタンを掛け違えたまま暫く気がつかず、後になって慌てて・・・ などということもあるわけです。

「これ、急ぎでやっといてね。」
「はい。わかりました!」
「あれ、できた?」
「いえ、これからです。」
「急ぎって言ったじゃない。」
「今日中でいいかと思ったんですけど・・・」
「急ぎなんだから一番にやってよ!」

頼む側の無理強いというかワガママもあるかもしれませんが、「急ぎ」という言葉一つ捉えても、人によって受け取り方は様々で、確認しないままにそれぞれの理解で物事を進めてしまうと、後になって困ったことになるという良い例です。

単純な事柄でさえこうなのですから、仕事の細かい指示、気持ちの理解などはよくよく気をつけなければいけません。
日本人特有の「あいまい」「玉虫色」を尊重している場合ではないのです。

「言ったじゃない!」
「ちゃんと理解してよ!」
「自分で確認してほしいんだけど!」

伝える側は一方的にこんな風に思うかもしれませんが、理解する側ではなく、伝える側がキチンと自分の伝えたいことが相手に伝わったかどうかを確認すれば良いのです。

「ちゃんと伝わった?」
「どんな風に理解したか、ちょっと自分の言葉で言ってみて」

メールなどの文章なら読み返して推敲することである程度の誤解は防げますが、消えてなくなる口頭会話の大切な事柄は、言いっぱなし、伝えっぱなしでなく、相手の理解を確認する習慣をつけたいものです。

くだんの先輩からのメッセージを受けて、最初は「???」だった私も、「これじゃ誤解されても仕方ないよね」と反省。
「伝えるって本当に難しい~」「私って、ホント、文章力ない~」と暫く落ち込みました。
しかし、こういうメッセージがあるからこそ、大切なことを思い出すことができるのです。
そう考えたなら、愛ある突っ込みは実にありがたい!

プライベートでも仕事でも、自分の考えや想いをきちんと伝えたい相手にこそ、しっかりと伝わっているのかどうか、相手任せにしないで自分から確認することを怠らないようにと思うのです。

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