誰だって変わることができる

苦痛は成長の印だった

「春から大学院へ行こうと思っているんです。まだ出願もしていなくて合格もしていないんですけど。」
来年の予定としてこう私が言うと
「尾藤さんなら絶対に大丈夫よ。」
「そうそう、尾藤さんが受からなくって誰が受かるのよ。」
「うんうん、99.9%大丈夫。万が一0.1%になったとして、それは採点者がおかしいのよ。」
と師や友人たちが口々に「大丈夫」と言ってくれました。
かつての私なら、こういう話の展開に満足して心の中で「デキると思われてる。ウフフ」とガッツポーズをしたものですが、今は全く異なり、「いや、そう言われても・・・。私、そんなんじゃないんだけどな。」と困ってしまいました。
謙遜しているわけでも卑下しているわけでもなく、いや、本当に狭き門で、私の経験と実力では結構厳しいのです。

自分を大きく見せようとしていた頃は、「そう、大変そうだね。合格できるといいね。」などと言われようものならカチンときて、「何この人、私をそんな風に見てるのね!」と腹を立てていたかもしれません。「尾藤さんなら心配しなくても大丈夫よ!」と言われるのが当然とばかりに、そういうコメントを自ら求めていたように思います。

しかし今では「絶対に大丈夫よ!」と言われることが実は苦痛です。
私そんなんじゃないのに、という思いと同時に、まだまだ私はガンダムスーツを脱ぎ切れていないのか他人にはそんな風に見えているのかしらと思ってしまったのです。
つまり、自分では全く無自覚でも、まだまだ自分を大きく見せようと突っ張ってしまっているのかということです。

けれども物は考えよう。
以前は「快感💝」だったことがそうでなくなっている。
これはある意味、私にとっては「正常化」してきているということです。
つまりは「進化」しているということに他ありません。

「先生や友人たちに大きな誤解はあるけれども、小さくても自分の成長が分かったから、まあ、いいっか。」
こんな風に肯定的に考えることにしました。
小さな成長を実感ついでに、もう1ステップ踏み出すために宣言します。

私、春から大学院へ行きます。受験はこれからです。
すごーく厳しいです。以前だったらここで予防線を張ってあれこれ言い訳するけれど・・・
絶対に合格します!
私、春から大学院で勉強します。そしてもっともっと多くの企業と働く人たちのお役に立ちます。

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