組織開発

思いが伝わらない時

衰退した組織や閉鎖せざるを得なくなってしまった事業所で働く人たちの「声を聴き」、罵声を浴び、それでも一層彼らの「心の声を聴き」、最後は双方が涙ながらに心を通わせ、その先の未来に互いにエールを送り合う。
そんな企業再生やカリスマ経営者の話を参考に、「よし、自分もまずはみんなに今の窮状に陥ってしまったことを素直に詫び、それからもう一度、仲間として協力してもらえるようお願いしよう」と奮起はしてみたものの、みんな冷たい目をして受け入れてもらえなかった・・・

こんなご相談をさんからA受けました。
こういう時、決まって私が言うことがあります。
「で? Aさんが問題だと感じている事は何ですか?」

Aさんからしてみれば、意を決して頭を下げ、もう一度やり直したいんだ、一緒に頑張ってほしいんだと熱く語ったのに、その気持ちをメンバーに受け入れてもらうことができなかったことが、ショックなのかもしれないし、悔しいのかもしれないし、Aさんではありませんが中には「何なんだ、うちの社員は!」とその事実に腹を立てている方さえもいらっしゃいます。
でもちょっと待って!
お詫びをして頭を下げたのも、もう一度とメンバーに乞うたのも、それはAさんがしたくてしたことで、メンバー達からの「分りました。私たちも頑張ります!」などと感動的な反応を期待してしたことではないはずです。
いえ、多分、残念だったとか腹を立てたとかいう方は、期待していたのだと思います。
自分が頭を下げてお願いするのだから、きっと相手に気持ちは通じるはずだ、と。
そう。メンバー達に気持ちは間違いなく通じたのだと思います。
その下心があっての言動だったのだろうということが。

厳しい言い方になりますが、相手からの反応、見返りを求めて行動を起こした、その時点で既に失敗だったのだと思います。
再生や再出発への想いが濁ってしまったのです。
純粋な思いから出てきた言葉や行動ではなく、相手の反応を予測しての計画的言動が相手には透けて見え、その当然の結果として受け入れてもらえなかったのです。

いえもしかしたら、本当に心から純粋な気持ちで詫び、思いを告げても受け入れてもらえない場合だってあるでしょう。
しかしその場合、相手の反応に対してガッカリしたり腹を立てたりはしないと思うのです。
何故なら行動の動機は純粋なもので、相手の反応を期待してのものではないからです。

ここまで私が言うと、Aさんは一層悲しそうに下を向いてしまいました。
「尾藤さんに慰めてもらおうと期待していた自分がいました。ダメですね・・・」

相手に期待するなとは言いません。
しかし、自分が望む相手の反応、相手の行動を引き出そうとして取った言動は、相手をコントロールしようとしていることに他ならず、そんなことは上手くいきっこないのです。
(たまたまそうなることはあるかもしれないけれど)
何故なら、他人をコントロールすることはできないし、結果をコントロールすることもできませんから。

詫びる時も、思いを告げる時も、ただ純粋に自分の心のままに。
それをどう受け止め、どう反応するかは相手マターであり、結果は相手次第。
もし思いが通じなかったとしたら、伝え方が悪かったのか、そこに至るまでの自分にとても問題があったのだからこれからの行動で示していこうと考え直すのか、とにかく批判の矛先を相手に向けるのではなく、自分がどうするかを考えるのが賢明です。

メンバーからは冷たい反応しかなかったけれども、自分が発信した事柄を一人でもやっていこうと決意して行動を起こしたAさん。
その純粋な思いはやがてメンバーに伝わり、今では一人、また一人と、Aさんの同志(部下ではなく「同志」なのです)が増えてきているのだとか。
良かったですね、Aさん。

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