誰だって変わることができる

幸せ色に触れる

私の中でいろいろな事が変わってきたとき、最初に自分で感じた変化は、「汚い言葉、きつい言葉、ネガティブな言葉」に触れるのが苦痛になってきたことです。

ネットでは色々な情報や書き込みが溢れています。自分にとって心地良いと感じない表現の文章や書き込みからは自然と遠ざかるようになりました。それらに触れると自分がそういう色に染められていくような気持ちになったからです。

社会的地位や権力のある人が記者の人たちに暴言ともとれる物言いをしているのをニュースで見ると、頭が痛くなってきました。

指導的立場にある方でも、人格に優劣をつけるような物言いだったり、人を試そうとしているのを見ると、そういう方と同じ色にはなりたくなくて、自ら距離を取るようになりました。

 

自分が自分らしくいられる幸せ色のオーラに触れることで、ありのままでいられる心地よさを実感し、私を塗り固めていた凝り固まった汚れのようなものが少しずつ少しずつ、溶けてきたような気がするのです。それは、自分を甘やかしてくれるぬるま湯につかるという意味では決してありません。そうではなく、自分が自分らしく、気取らず飾らず等身大のありのままの姿でいることができる心地よい幸せ色なのです。

左脳派の方には「なんのこっちゃ。意味わからん・・・」と感じられるかもしれません。しかし、幸せ色に触れれば触れるほど、長い間の冬眠から目覚め、沢山の鎧を脱ぎ捨ててピュアな自分が顔を出し、心地よいご機嫌な自分でいられるようになったのです。

 

人は多くの役割を担っています。

ある人はマネージャー、夫、父親、息子、少年サッカーチームのコーチ。

ある人はプロジェクトリーダ、妻、娘、書道教室の先生。

私は経営者、ファシリテーター&講師、娘、妹、叔母、ゆうた(犬)の母親、ボランティアのリーダー等々。

役割りによって見せる顔が本来の自分と違うほど、それが常態化してしまえばしまうほど、いつの間にか本当の自分が自分でもわからなくなってきて、迷宮に陥ってしまうのかもしれません。

どんな役割を担っていても自分は自分。ありのままの自分でいられれば、それはとても素敵なことだと思います。

そのためには常日頃から自分にとって心地よい幸せ色のオーラをたっぷりと浴び、無理に鎧をまとう必要のないありのままの自分を好きでいられることが大切なのかもしれません。

 

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