手放すことで何が手に入るのか?

インフィニティについて 誰だって変わることができる

「毎日書く!」と決めて、2017年2月6日から書き続けたブログですが、
一旦、「毎日書く」を手放すこととしました。
これからは、「毎日書く」ではなく、「必要な時に書く」に変更です。

1500日間書き続けたのに、それを中断させることに躊躇がなかったわけではありません。

「毎日書くと決めたのに。」
「毎日更新しているとうたっているのに」
「楽しみにしてると待っていてくれる人がいるのに」

そんな心の声が、私の決断に待ったをかけます。

しかし、そもそも「何のためにブログを毎日書こう決めたのか?」を
改めて考えてみました。

1500日前。創業半年を過ぎて、
まだまだヨチヨチ歩きだった会社や私は、
① 自分を確立するために ② 自分たちは何者かを発信するために
③ 3日坊主の私が逃げない自分になるために
「毎日書く」を自分に課しました。

しかしあれから4年半。
毎日ブログを綴る目的が、当時とは私の中で変わってきています。

今は、「必要なコト」「大切だと感じたコト」
「世間一般とは違うかもしれないけど、私はこう思う!と伝えたいコト」
「当たり前だけどスルーしないでもう一度見つめ直してみたいコト」などを
自分に言い聞かせると同時に、
「必要な人に届きますように」「必要な人のお役に立ちますように」
という私なりのメッセージがブログの形を借りて発せられています。
そこに必要なのは「毎日」ではなく、
私自身が一層、自分の心の声を丁寧に聞き取り、
なるべく丁寧にそれらを発していくことです。

これまで握りしめていた手のひらの力を抜いて指をゆっくりと開き、
握りしめていたコトを「手放す」のは、それなりに勇気が必要な事です。

しかしそれは、手放すのであって、捨てるのではありません。
手のひらをゆっくりと開いて、そのまんま留まっているかもしれないし、
必要な分だけが残って、こぼれ落ちたその余白に新たな何かが加わるかもしれないし、
全てがどこかへ飛んでいき、新たな何かが手のひらにすっぽりと収まるかもしれません。
それは手放してみて初めてわかる事であり、
いつまでも固く握りしめている限り、どうなるかはわからないのです。

手放すこととは、捨てる、やめる、などの否定的意味合いではなく、
執着を手放して、肩の力を抜いて楽になって、
ある意味、流れに身を任せる状態に近いのかもしれません。


そう言えば・・・
昨日のAマネージャーさんとのコーチングでの一コマ。

メンバーへ問いかけた事に対して、
その返答が期待の半分しか返ってこない。
もっと大きく物事を捉えてほしいのに、半分しか考えていない。
どうしたもんだろう・・・

そんなAさんに私がかけた言葉は、
「返ってきた言葉とメンバーの頭の中(気持ち)がおんなじだという考えを
一旦、手放してみたらどうかしら?」
でした。

Aさんには「手放す」という表現をよく使う私です。

「それ、やめてみたら」
「違うと思うよ」
などのストレート表現は、Aさん自身、否定されている感が凄くするらしいのですが、
「手放してみたら?」と言われると、
決定権は自分にあるし、何よりも、手放すだけで、捨てる、やめるなどではないので、
これまでの自分(の行動)を否定されている気が全くせず、
受け取りやすいのだそうです。

それでも、Aさんだって、もちろん私だって、
握りしめた手のひらの力を抜いてそっと指を開き、
それまで大切(?)にしていたコトを手放すには、
それなりに勇気が必要です。

しかし、手放すことでしか、ソレがこれからも全く同様に必要か、
そうでないのかはわかりません。
手放すことで余白が生まれなければ、新たなコトを迎え入れることもできません。

手放すことは執着を解き放つこと。
手放すことは過去の否定ではなく、これからの選択肢を増やすこと。
手放すことは自由を手に入れること。
手放すことは今から未来への扉を開くこと。

ほんの少しの勇気でまだ見ぬ明るい未来が新たに手に入れることができるのだとしたら、
私は喜んで手のひらの力を抜いて、大きく手を開いて手放し、
そして新たなソレを受け入れたいと思うのです。

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